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テオドリクス1世 (西ゴート王) : ミニ英和和英辞書
テオドリクス1世 (西ゴート王)[おう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

テオドリクス1世 (西ゴート王) ( リダイレクト:テオドリック1世 ) : ウィキペディア日本語版
テオドリック1世[ておどりっく1せい]

テオドリック1世Theodoric IまたはTeodoredo I、?年 - 451年)は、西ゴート王アラリック1世の庶子、または義理の息子とも言われている。
==勢力の拡大==
418年、テオドリック1世はワリアの後継者として即位した。ローマ人たちは、ワリアに西ゴート族を連れてイベリア半島からガリアへ移るよう命じていた。テオドリック1世は、ガリア・アクイタニアノウェンポプラニアガリア・ナルボネンシスへの西ゴート族定住を完了させ、その後西ローマ帝国の衰退に乗じて領土を南へ拡大した。
ホノリウス帝の死後423年にヨアンネスen)が帝位を簒奪すると、内乱がローマ帝国内で発生した。テオドリック1世はこの状況を利用して、重要な道路の交差路であったアルルを攻略しようとしたが、マギステル・ミリトゥムアエティウスフン族の協力を得てアルルを救った〔Prosper, ''Epitoma chronicon'' 1290, in: MGH Auctores antiquissimi (AA) 9, p. 471; ''Chronica Gallica of 452'', 102, in: MGH AA 9, p. 658; Sidonius Apollinaris, ''letters'' 7. 12. 3〕。
西ゴート族は条約を結んで、ガリア貴族を人質として獲得した。のちに皇帝となるアウィトゥスen)はテオドリック1世を訪問し、西ゴートの宮廷に滞在してテオドリックの息子たちに学問を教えた〔Sidonius Apollinaris, ''carmen'' 7. 215sqq.; 7. 495sqq.〕。
435年にフランク族ケルントリアーを略奪すると、ローマ人たちは彼らを征伐することを考えた。テオドリック1世は、地中海ピレネー山脈とのアクセスの良いナルボを攻略する絶好の機会ととらえた。しかしフン族の協力を受けたリトリウスはナルボ攻略を阻止し、西ゴート族を彼らの首都トローサへと駆逐した〔Prosper, ''Epitoma chronicon'' 1324 and 1326, in: MGH AA 9, p. 475; Hydatius, ''chronicle'' 107 und 110, in: MGH AA 11, p. 22-23; Merobaudes, ''panegyric'', fragment II A 23, in: Vollmer, MGH AA 14, p. 9; Sidonius Apollinaris, ''carmen'' 7. 246sqq.; 7. 475sqq.〕。テオドリックの和平の申し出は拒絶されたが、王はトローサで決定的な勝利を収めた。負傷したリトリウスは西ゴートに囚われたまま死亡した〔Prosper, ''Epitoma chronicon'' 1335, in: MGH AA 9, p. 476; Hydatius, ''chronicle'' 116, in: MGH AA 11, p. 23; Salvian, ''de gubernatione dei'' 7. 9. 39sqq.〕。アエティウスの命令でアウィトゥスはトローサへ向かい、和平を申し出てテオドリックはこれを受け入れた〔Prosper, ''Epitoma chronicon'' 1338, in: MGH AA 9, p. 477; Hydatius, ''chronicle'' 117, in: MGH AA 11, p. 23; Sidonius Apollinaris, ''carmen'' 7. 295sqq.〕。おそらく当時、ローマ人は西ゴート族国家の主権を認めたのである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Theodoric I 」があります。




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